今日は、女優の原田知世さんの話題をみていきます。原田知世さんといえば、夏になればAGF『ブレンディ』のCMに必ず出てくるイメージで、今年も、原田知世さんは「変わらないな」なんて思うのですが、気が付けばそこそこの年齢のようです。
角川映画の新人募集で特別賞を受賞し、芸能界入りしましたが、昔、デビューした若い頃には“あどけない可愛らしい少女というイメージでしたが、年がたつとともに、だんだんと“かわいい”大人の女性へと変わっていきました。
そんな、原田知世さんは、今現在でも“かわいい”と言われているんだとか。原田知世さんの、昔、若い頃の写真と最近の画像とを比較。現在でも“かわいい”は本当なのか?確認してみたいと思います。
『原田知世』についいて
- 名前:原田知世(はらだともよ)
- 生年月日:1967年11月28日
デビューのきっかけは、「角川映画大型新人募集」に応募したこと。1983年、『時をかける少女』でスクリーンデビュー。薬師丸ひろ子に次ぐ大型新人として話題となりました。そして、1984年、『愛情物語』、『天国にいちばん近い島』、1985年には『早春物語』と、次々映画に出演していました。
さらに、歌では松任谷由実さんの提供を受け、『時をかける少女』などの映画主題歌を歌いヒット。歌番組などにも出演していました。
その後も、1987年、『私をスキーに連れてって』や、1989年、『彼女が水着にきがえたら』などトレンディー映画のヒロインとしても活躍していました。
近年、2014年のドラマ『紙の月』、2016年の『運命に、似た恋』などに出演。最近では、NHK連続テレビ小説『半分、青い。』に出演し、母親役を演じていました。
原田知世 昔 若い頃の写真は“かわいい”?
そんな原田知世さんですが、デビューの頃には、薬師丸ひろ子の次を担う女優だと注目されていたようです。まずは、そんな昔の若い頃の画像から見ていきたいと思います。
デビューしたころの原田知世さん。「可愛らしい」という言葉の方がピッタリの気がします。原田知世さんは、髪型がショートのイメージが強いですが、この頃は長めだったのですね。
これらの画像が、1983年の『時をかける少女』の時。この頃には髪は切っていてショートカットになっています。
そしてこの画像は、1984年の『天国にいちばん近い島』の時のもの。この時の画像でも髪型はショートですね、
そしてこれが、1987年の『私をスキーに連れてって』の時のものです。この時は髪が長いんです。わたしのイメージの「原田知世さんはショートヘア」というのは、成り立っていませんでしたw。でも、この頃には、幼いが故の“可愛らしい”から、女性としての“かわいい”に変わってきた感じがします。
今現在も“かわいい”はホント?
ということで、昔、若い頃の原田知世さんを見てきましたが、少女という言葉が似合っていた“可愛らしい”原田知世さんが、女性としての可愛さを身に着けていく流れがよくわかりました。
そんな、原田知世さんが、最近でも“かわいい”と言われています。実際、画像で確認してみたいと思います。
こちらは、2014年、NHKドラマ「紙の月」の頃の原田知世さんです。この画像だと、“かわいい”というよりも“綺麗”の方によって感じの画像ですね。それにしても、昔とあまり変わっていない感じが強いです。
NHK連続テレビ小説「半分、青い。」へ出演したころの原田知世さん。このドラマのヒロインの永野芽郁さんのような“かわいい”ではありませんが、大人の女性としての“かわいい”を持ってる原田知世さんです。
何より驚くのは原田知世さんの年齢です。50超えたアラフィフとしては、確かに、肌が綺麗で「かわいい」と思います。
そんな原田知世さんは、2019年、田中圭さんとW主演という形で、日曜ドラマ『あなたの番です』に出演します。妖艶な美熟女に変貌した原田知世さんが見られると言われているようですが、果たして…。
『原田知世』まとめ
今回は、女優・原田知世さんの話題をみてきました。
- 原田知世さんのデビューの頃を知ってる方なら、懐かしく思われる内容だったのではないかと思います。
- 原田知世さんのデビューの頃は、印象として、“ショートヘアの可愛らしい感じの少女”というイメージで、実際『時をかける少女』の頃はそんな感じでした。
- しかし、その後の『私をスキーに連れてって』の頃には、“かわいい”という言葉が似合う女性に変身していましたね。
- そして、原田知世さんの現在の画像を、最近のドラマから見てみました。正直、昔の“かわいい”というのとは質が違うのですが、年齢からすれば“かわいい”感じですね。
2019年には、人気の田中圭さんとのW主演で、ドラマにと往生するようです。あの清純派路線の原田知世さんが、妖艶な美熟女に変貌するというので、見てみないといけませんね。